中村 正(2005)
「家庭内暴力の加害者への対応」

掲載日:2024年4月28日 

論文


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論文名 家庭内暴力の加害者への対応
著者 中村 正
発表年 2005年
DOI info https://doi.org/10.32236/jscpjournal.8.1-2_47

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論文の引用

引用セクション/ページ:48

DVは対人暴力を伴うので、司法による介入が不可避である。米国においては、 DV加害対策を進めるために司法のあり方を変化させてきた。通例の刑事司法の対象にすることはもちろんだが、 DVの行動特性(暴力の長期反復性、習慣的行動化、愛着対象への依存と支配、自己統制の弱さ、男性性と関連する価値観など)に配慮して、薬物依存やアルコール依存への介入経験に学び、 DV特別法廷(Domestic Violence Courts)を設置する地域が多くなっている。

引用セクション/ページ:49

ドゥルースモデルはジェンダーの視点に立ち、暴力を広範囲に定義している。それは、 1) 脅しを使う、 2) 感情的な暴力を加える、 3) 社会的に孤立させる、 4) 相手を責める、 5) 子どもを使って貶める、 6) 男性的特権を使う、 7)経済的に虐待する、 8) 強迫して何かをさせるという諸点であり、暴力の広範な特性が記述されている。言薬の暴力、心理的暴力、感情的暴力、身体的暴力、性的暴力として整理されることが多い。身体的暴力だけではなくて、その文脈までもが対象とされている。それは日常生活を共にする親密圏における関係性の暴力だからである。

引用セクション/ページ:50

思い通りに事を運ばせるために、支配感や優越感を満たすために、ストレスを解消するために、嫌悪感や不快感を除去するために、緑力が行使される。何らかの欲求を実現させようとする行動が暴力である。暴力によって得られた快楽が大きければその行動は強化される。

引用セクション/ページ:50

暴力が学習された行動だとすれば、非暴力や脱暴力も再学習可能なはずだ。加害男性の怒りの感情、その表現の仕方、言語化できずに暴力として行動化するパターンなど、加害者にはある共通する表現様式や行動特性がある。それは、男性という性、男らしさ、父親役割としてコード化された感情処理の仕組みである。感情が社会的に構築されているのだ。

引用セクション/ページ:51

謝罪 apology (暴力のあと後悔の念を表明することがある)、正当化と弁明 account(言い訳したり被害者を責めるなどの行動)、要求 request(やり直したいなどと被害者に要求を表明する)という一連のコミュニケーション的行動が指摘されている。これは「中和化の技術」と呼ばれるバタラーの特質である。こうしたコミュニケーション行動の特質は、臨床家の前でも裁判官の前でも調停の場でも表現される。

引用セクション/ページ:51-52

私が共同代表人を務める「メンズサポートルーム」(京都市)では、米国の加害者向け非暴カプログラムを参考にしつつも、日本の現実に即してアレンジした心理教育プログラムを「男のための非暴カグループワーク」のために研究、開発、実践してきた。グループワークと自助グループを中心にして、 98年から試験的に実践を開始し、すでに100人近い加害男性と出会った。伝統的な刑事処分にはなじみにくい行為類型に配慮した、非暴力への行動修正のための心理教育的な更生支援プログラムである。次回の法改正までに実現したい加害者対策の一つだ。メンズサポートルームは、春と秋のグループワークを基本にして、隔週の「非暴力の語りの会」を年間通して実施している。最近は、京都、神戸、大阪で自治体と協働して開催することもある。年齢、家族構成、職業も多様な家庭内暴力の加害者への対応男性たち、暴力の程度、生育歴も異なれば、離婚調停中、別居中、関係改善志向、父子家庭、子ども虐待との重複、怒りマネジメントが必要な男性など、置かれた状況も多様である。

引用セクション/ページ:52

人生の中で自己の暴力にけじめをつけることを促すのだ。暴力や行動に責任をとるということである。グループワークでバタラーに「結婚には失敗したけど、離婚には成功しよう」ということがある。最終的には、謝罪と再生だ。子どもの養育費や慰謝料をきちんと支払い、ストーカー行為をしないこと。そして、何よりも言いたいのは、「再婚しても暴力を振るわないようにしよう」ということである。また、刑務所に入った加害者にも、できれば少年法的な教育的、福祉的アプローチが望まれる。

引用セクション/ページ:53

家族に介入することの困難さは、家族の内部が「複数の非対称性」を宿す関係性の束であるという点にある。「絶対的非対称性(ヘーゲル)」とも呼ばれる家族の関係は「ケアする、ケアされる」という相互行為を前提にしている。子どもを育てる過程に子ども虐待があり、要介護の状態にある老人へのケアの過程に老人虐待が発生するということだ。配偶者同士には、 ドメスティック・サービスというケアが成り立っている。これは、通例、世帯主であることが多い男性、つまり夫への食事の準備、身の回りの世話、セックスに応じることなど、彼の快適さを保つための妻のサービスである。これらは憩いの場としての家庭を営む妻の責任ある仕事とされる。世話する役割の女性と稼ぐ役割の男性ということだ。つまり、 ドメスティック・バイオレンスの背景にはジェンダー関係が深くかかわっているということだ。非対称な関係には、パワーとエネルギーが不均衡に配分されている。お金、発言力、肉体的な力、社会的地位など社会資源と呼ばれるものが不均等なのだ。一般に、女性よりは男性に、妻よりは夫に、母よりは父に、子どもよりは親に、より多くこうした資源が配分されている。この不均衡が倫理を侵犯し、自他関係の境界を内破する危険性をつくりだす。暴力や虐待を通して自己の欲求を満たし、それがバタラーの「自己システム(自己を維持する不可欠な一環)」と関わるようになるとやっかいだ。暴力と虐待に依存し、暴力も愛情やコミュニケーションの手段だと思い込み、自他融合的な感覚が支配し、女性や子どもという他者の深奥への浸潤、育った家族で学習された行動の再現(愛着形成の問題、暴力という行動化、脱感情作用、男性性・男らしさ)がみられると、第三者の介入が必要となる。


論文の公開 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscpjournal/8/1-2/8_47/_pdf/-char/ja
掲載書誌 コミュニティ心理学研究8.1-2.pp.47-55
資料種別 論文
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